山手を襲った地震

当時の写真資料で見る震災の様子

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当時の写真資料で見る震災の様子

カテゴリー
墓地
名称
外国人墓地
画像タイトル
「Part of Cemetery. Yokohama」
出典/Source
「ハワイ大学マノア校図書館アジアコレクション1923年関東大震災写真集画像」
コメント/Comment
1923年版ディレクトリ/1923 Directory
Lot.No. 92-93-94-95
Yokohama Cemetery
「古き横浜の壊滅」記載場所/The Death of Old Yokohama Index
63頁
墓地はといえば、これも悲惨なありさまで、そこを取り囲む黒塀はペシャンコになり、墓石はあたりに飛び散ってこわれ、しかも亀裂がこの小さな段々台地をひき裂いたあたりの墓には、大きく口をあけているものもあった。世界大戦の戦死者に捧げた花崗岩の記念碑(メモリアル・アーチ)は、いくつもの大きな断片となっていた。死者の安息の地さえもちあげて、こんなにひどい状態にしてしまうとは、まったくの残虐のように思われた。
P.48
As for the cemetery, it was in tragic state, the black surrounding fence flat, tombstones flung about and broken, and some of the graves yawning where fissures had split the small terraces. The granite Memorial Arch to those killed in the Great War lay in a dozen big fragments. That even the resting place of the dead should be heaved into such disorder seemed like pure sadism.

その他の資料
『フェリス女学院150年史資料集 第1集 関東大震災 女子学生の記録』2010(平成22)年
175頁「(95) [無題]」
「其の内黒煙が所々あがりましたので、すぐ外人墓地に逃げましたけれど、行く道がとても困難で御座いした。道路のせまい所で両側の家がつぶれて居りますので、屋根を越したり大きな石を乗り越えたり、それも容易では御座いませんでした。・・(中略)・・やうやく外人墓地にたどり着きました。けれど下町の焼ける熱と山手の焼ける[の]がたへられない暑さでした。
その他の画像/Another Image

震災後の外国人墓地

新関光二氏所蔵

外国人墓地フェンス倒壊写真(1)

新関光二氏所蔵

外国人墓地フェンス倒壊写真(2)

新関光二氏所蔵

「The War Memorial」

神奈川県立博物館所蔵

撮影時期:1923年
撮影場所:外国人墓地正門付近
右側に1922(大正11)年建立の戦勝祈念門が倒壊しているのがわかる