当時の写真資料で見る震災の様子
- カテゴリー
- 病院
- 名称
- 40番ドイツ海軍病院
- 画像タイトル
- 山手町40番ドイツ海軍病院
- 出典/Source
- 新関光二氏所蔵
- コメント/Comment
- 撮影時期:1923年
撮影場所:
ドイツ海軍病院の正門付近と思われる
- 1923年版ディレクトリ/1923 Directory
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Lot.No. 40
C. H. Fearon
Mrs. Fearon
H. P. Sharp
Mrs. Sharp
- 「古き横浜の壊滅」記載場所/The Death of Old Yokohama Index
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52頁
私が左に曲がって山手通りへ勢いよく飛び出すと、香港上海銀行のヒュー・シャープに出くわした。彼は海岸通りとキャンプヒルを苦労して歩いてきたところであったが、通りがかりに一瞬私の手をにぎって「チェスター君、君の家はまだ立っているよ」と言った。「おお神様、ありがとうございます!」というのが、私に答えられるすべてのことであった。私には、ドイツ海軍病院の門の向かいにある彼の家がひどく打ちのめされていたことを、彼に告げる勇気がなかったのである。ドロシーの良い友人である彼の妻ジョアンは生き残ったが、しかし彼らの男の赤ちゃんは彼女の腕のなかで死に、二日後、海葬にされた。
P.41
As I swung left into the Bluff Road, I met Hugh Sharp of the Hongkong & Shanghai Bank, who had beaten his way up along the Bund and Camp Hill, and who grasped me momentarily by the hand in passing, saying 'Your house is still standing,Chester!'
P.42
'Thank God!' was all I could reply, not having the heart to tell him that his house, opposite the gate to the German Hospital, was badly knocked about. His young wife Joan, Dorothy's dear friend, came through but their baby boy was killed in her arms and was buried two days later at sea.
- その他の資料
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『フェリス女学院150年史資料集 第1集 関東大震災 女子学生の記録』2010(平成22)年
221頁「(122) 九月一日」
「私の家は当時、山手警察の隣にあった。」(前日)「北方の勉強堂まで買ひに出た。・・(中略)・・豚山に別居している兄の家を訪ねた。」(当日)「家はつぶれて母は下敷きになったがやっと助け出し、代官坂の上に居る。」「幸ひに豚山は全潰が一軒もないので、怪我人はなかった。」「それから兄とともに山手公園をぬけて父母の避難している独逸病院後へいってみた。」「其のうち焼残っていた門番の家に又々強い一陣の風と共に火がうつったのでこゝにも居られず、くづれた煉瓦ずたいに山手公園に逃れた。」
- その他の画像/Another Image
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山手町40番ドイツ海軍病院(裏面)
新関光二氏所蔵
撮影時期:1923年
撮影場所:
1923 40 Bluff
Uncle Herberts Laoe on the Bluff
Yokohama Earthquake September 1st 1923
Taken by R.Pellester Weak