当時の写真資料で見る震災の様子
- カテゴリー
- 住宅
- 名称
- 120A番
- 画像タイトル
- T.M.Laffinの家/T.M.Laffin's House
-
- 出典/Source
- 「ハワイ大学マノア校図書館アジアコレクション1923年関東大震災写真集画像」
- コメント/Comment
- 撮影時期:1923年
撮影場所:谷戸坂通りから120番をみる
山手町120番T.M.Laffinの家があった。写真右手に写る立看板には、「T.M.Laffin 山手壱百貮拾番」と読み取れる。左手の道は谷戸坂通り。
- 1923年版ディレクトリ/1923 Directory
-
120-A
T. M. Laffin
Mrs. T. M. Laffin
Miss Mary Luffin
Miss M. M. Laffin
Tom Laffin, Jr.
W. Laffin
P. E. Nicolle
Mrs. Nicolle
- 「古き横浜の壊滅」記載場所/The Death of Old Yokohama Index
-
140頁
トム・ラフィンは、船具商ティム・ラフィンの息子であるが、ここでも勇ましい活躍をし、そして自分の生命を危険にさらしてまで多くの人命を救った。
P.93
Tom Laffin, son of Tim Laffin the ships-chandlar, did courageous work here and saved many lives at the risk of his own.
156頁
けれども、港内にあった遠くのブイのところへ私たちを連れ出してくれたのは、一艘のランチと一本の強いつなをもっていたトム・ラフィンでした。そして、私たちは私たちのところを急いで通っていく炎から脱出したのです。
P.103
but it was Tom Laffin with a launch and a strong line that got us out to a distant buoy in the harbour and we escaped the flames which raced past us.
159頁
トム・ラフィン(なおも自分のランチですばらしい活躍をしていたが)、私にこんな知らせをもたらした。すなわち、静岡にある私の父の事務所から日本人の使いがプレジデント・ジェファスン号でやってきて、父は無事で、しかも元気でいること、静岡も被害を受けたが、ほんの中程度であったこと、また父が私たちのことを心から知りたがっていると伝えてくれた、との由であった。
P.104-105
While reviving her, Tom Laffin, (still doing splendid work with his launch) brought me word that a Japanese courier from my fathes's office in Shizuoka had come up by the President Fefferson with a messege that father was safe and well, that Shidzoka had been but moderately damaged, and that father anxiously awaited news of us.
- 外国人墓地/Bochi
-
Sec 6